―― 先に、国の中教審委員も務められましたが、コロナ問題に伴ってこれからの教育政策はどうあるべきとお考えでしょうか。
和田:教育政策というものも、具体化されるまでの間で、どうしても形だけに終わってしまうことがあるものです。先の入試改革は、その最たるものといえるかもしれません。
改革の推進派ともいえる人々が集められ、共通テスト前の試行テストを民間業者に委託することも論議されました。文科省としても問題点が見えていたはずですが、口を出すことができずに見守るしかなかった部分もあったと思います。
そうこうするうち、全国の高校生や教員の間から率直な意見が出てきたために結局、引っ込めざるを得なくなったというのが本当のところでしょう。
中教審の場合には、一般の財界人として企業関係者がメンバーに含まれることもありますが、“静かな環境”で教育を議論できる場でなければという考え方は、少なくとも共有されているものと思います。
議論の途中から中教審は教育再生会議の下請け審議会のような位置づけになってしまいましたが、今後は教育政策の立案に関わるプロセスなども、一部の有識者だけで引っ張っていくようなやり方は通用しなくなると思います。
学級定員削減の論議は棚上げか
―― コロナ対策の観点から、小・中・高の学校現場でも、密の状態を避ける方策が引き続き求められていくと思いますが。
和田:1クラス40人という縛りのもとで、教室が密になるのは避けられないのかもしれません。
全国の学校施設をこれから建て替えて、80人が入れる広さの教室にした上で、40人の授業をやりましょうというなら別ですが、そうでなければ学級定員をどこまで減らせるかという話にならざるを得ないでしょう。
仮に20人学級にすれば、アクティブラーニングのような双方向的な授業も問題なく行えますし、1クラス10人から15人程度の欧米の例と比較してもさほど変わりない人数になります。
仮にクラスの人数を減らすとなれば、建物の問題や教員の人数など従来通りとはいかなくなり、私学としては正直、複雑な思いもありますが、今後少子化が進む中で“ウィズ・コロナ”時代の教育のあり方を真剣に考えるならば、学級定員の削減に関する議論というのは当然起きて然るべきと考えています。
ただ、そうなると教育にかかる予算も単純にこれまでの倍は必要になるでしょう。要は、本当にそこのところを賄う気持ちが国にあるのかどうかだと思います。
例えば、大学の数が半分になり、先生一人あたりの生徒数も半分になれば、現状の設備を活かしながらより充実した教育を行うことも可能になるはずです。
その際に「定員の半数しか学生が集まらない大学は統廃合で潰しましょう」というのではなしに、むしろその環境が一つの基準となるような方向性で対応を進めていくことで、より少人数での学びにつながっていくと思います。欧米型の授業のあり方にも自ずと近づいていくのではないでしょうか。
そうしたことは一挙には実現できないかもしれませんが、今後生徒数が減っていくことは間違いないわけですから、何年かに1回定員を見直す形で、例えば徐々に5人ずつ減らしていって30年先の姿をめざしていくというような、それこそ長期的な教育ビジョンというものが必要とされているのだと思います。
これからの大学のあり方
―― これからの教育において、少人数制に合わせるというのは大事な視点になりますね。一方、日本の私立大学では人気の高いところほどマンモス大学だったりする現状もあるようですが。
和田:オックスフォードやケンブリッジなど世界のトップレベルといわれる私立大学は、university 全体としてそれなりの規模が保たれる一方、カレッジ制によって細分化されています。カレッジはそれぞれのアドミッションを持っており、そのもとで生徒を集めるというスタイルがとられています。
これに対して日本の大学は、きめ細かな選抜方法が成り立つような体制にはなっていないわけです。
しかも、AOや推薦を除けば、基本的に大学入試センター試験から国公立大学の二次試験までの短期間で、私立大学の入試を全て終えなくてはならないという日程的なものも、大学入試のあり方を変える上でネックになっていると思います。
―― お忙しい中ありがとうございました。<文中敬称略>
(完)
― 聞き手:本紙・中沢―
(『きょういく時報』8月28日号より全文掲載) |