昭和6年の満州事変あたりから、この昭和史は始まる。
敗戦までの14年間 ――。国民が知らない間に形づくられた、目には見えない正方形を、保阪氏は再現して見せる。
4辺に囲まれた檻(おり)のような空間で息苦しい社会生活を送ったのは、誰あろう国民だ。
正方形の第一辺は「情報の一元化」が占める。
表現の自由や報道の自由を抑圧するなんぞは“当たり前”。さらに重要とされたのは、国民に知らせる情報の発信元を一箇所に絞り込むことだった。
情報を比べさせてはならない、反対意見がどれくらいあるのかさえ知らせない。
昭和6年は、陸軍指導者たちが軍閥政治台頭の礎を着々と準備した時代。一方、当時のメディアはといえば、軍事国家の宣伝要員になることを「自ら希望」した、と保阪氏は分析している。
教科書改訂も“契機”
正方形の第二辺は「教育の国家主義化」。
昭和8年、当時の陸軍は、『国定教科書』改訂に口を挟み始める。 「臣民の道を強化し、軍国における忠君愛国の精神の鼓吹を教育目的とした」内容へと教科書が一変され、大正デモクラシーの面影は消し去られていったという。
正方形の第三辺は「弾圧立法の制定と拡大解釈」。治安維持法の登場である。
思想面で国民を締め上げ、「文句を言わせない」――。悪名高い特高警察が重要な役割を果たし、検挙者は増え続けていったという。
正方形の第四辺は「官民あげての暴力」だ。
昭和7年5月15日、犬養毅首相暗殺。「たとえテロでも、動機が正しければ容認される」というのは、まさに“奇妙な情緒的世相”だったと保阪氏は振り返る。
が、今日再び、同じ世相が漂い始めてはいないだろうか。
昭和史はここから一気に官民あげての戦争遂行へと突き進む。
保阪氏は語る。
「よりわかりやすくいうならば、わずか14年で、軍事を起こし、軍事を中心に日本社会が動き、そして日本それ自体が軍事の敗北によって壊滅していくプロセスは、マラソンを短距離なみのスピードで走っていくのとほぼ同じような流れなのである」と。
保阪氏のいう「日本型ファシズムの四角形」は今や、「特定秘密保護法」「教育の中央集権化」「安全保障関連法」、そして「改憲勢力の運動体であり、改憲を提言するマスコミ(?)」にすんなり置き換わるのではないだろうか。
『昭和史のかたち』 保阪正康・著
岩波新書780円+税
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