安保関連法制議論がヤマ場を迎えている。国会では「何がなんでも可決へ」という与党と政府のゴリ押しで、可決ムードが煽られる危険な状態にある。
国民の多くの人々が納得しない法案を、政府与党が無理やり可決に持ち込むやり方は、議会制民主主義ではなく、ファッショ(独裁)としかいえない。
議会で多数の議席を得たから何でもできる、という思い上がった考え方は、戦前の大政翼賛会の議会によく似ている。軍人(今は自衛隊員だが)が立法府に議員として入り込んでいる点もよく似ていているし、それに疑問をもつ人々が少ないのも恐ろしい。
「デモクラシーの基本原則である多数決原理を、多数・少数決原理とみなし、多数と少数との相互作用にもとづく妥協によって、はじめて議会政治は本来の目的を達することができる」と、ドイツの政治学者ハンス・ケルゼンは説いた。
そもそも安保関連法制論議の核となっている「集団的自衛権」について、オバマ政権は、日本に対する内政干渉にもなることから当初静観してきた。
「集団的自衛権」の言葉は、実は、安倍政権側がメディアを使って「米国が歓迎」と吹聴してきたものにすぎない。
“日本版NSC”の事務局長となった谷内(やち)正太郎氏(元外務省次官)は、『論集
日本の安全保障と防衛政策』(ウェッジ出版・2011年10月)と題した著書の中で「日本はそろそろ武器輸出を考えてもよい時にきている」などと書いている。
「解釈改憲」の契機のひとつになったと見られるこの著書には、米国のアーミテージ・ナイ論文が引用されている。共和党が希望する“アジアの防波堤”としての「日本の役割」に乗っかった結果であることも当然見えてくる。
戦後の主権在民の憲法の下で民意に沿った政策を行うのが、時の政権の役割だ。政権を担う者が国民の意思に反して“自分は正しい”と思い、政策を実行に移すことは、権力の濫用以外の何ものでもない。
アメリカの民主党オバマ政権がめざす路線は、共和党との間でかなり異なるスタンスがある。両党間の論戦により予算執行が滞ることもあったようだが、そこまで“真剣な論議”が交わされること自体、うらやましい。
一方、日本の自民党。内部で異議を明確にできる人が全くいない状況となり、党内には自由な論議の場もないようだ。
このような政権のもとで、国の行方を不安視する国民が増えるのも当然だろう。
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