―― 今度の新学習指導要領では、主体的な学びをどう作っていくかがポイントの一つになっているようですが。
山田:高校では従来から必須とされてきた「総合的な探究の時間」に加えて、通常の教科においても「探究的な学び」が推進されようとしています。
両方の探究を通じて「主体的、対話的で深い学び」を推進し、OECDで言われているエージェンシー、すなわち自分自身の将来に向けて“自ら舵取りをしていく”オーサーシップを育成していこうという方向性がうかがわれます。
―― 先生は研究者として、総合的な探究の授業や探究的な学びなど、早い時期から教育現場での実践指導に関わっておられますね。
山田:私の場合は、もともと専門が青年心理ということもあって、“当の生徒はどうなのか”が常に気にかかるんです。
生徒の学びと育ちを軸に、教育の現場を眺めた時、果たしてそれは「上手くいっている」といえるのかどうか。現状の問題点を深堀りすることなく、新しい学習指導要領に基づいてさらに探究を深めていこうとすれば、現場の混乱を招きかねないと懸念しています。
今後、全ての高校で探究が一層推進されることを前提に考えればなおのこと、今、生徒の側に何が起きているのかをもっと丁寧に見ておく必要があると思っています。
教室の空気感を変えるには
教室に入った瞬間、学びに向かうクラスの空気感みたいなものが伝わってくることがあるでしょう。探究の授業の中にも、すごく上手くいっているクラスもあれば、先生は一生懸命なのに、どういうわけかギクシャクしているクラスがあったりもします。
海外では、教室の空気感を表現する際にclimateという言葉が用いられており、classroom climateの研究などもずいぶん昔から行われています。
思春期の子どもたちとっては、このような学級の空気感がとても重要なんです。例えば教室の中に、「真面目に勉強するのはカッコ悪い」とか、ちょっと意見を言った時に「あいつ調子に乗っている」などと言われたらどうしよう、といった空気感が蔓延してくると、“ここは無難にやり過ごそう”という意識が働きます。「誹謗中傷されないか」「いじめにあわないか」「変に目をつけられないか」など、さまざまな不安や心配を抱えながら何十人のクラスの中でひしめき合いつつ学ぶことにもなるわけです。
こうした中で、主体的に取り組んだり、自分のことを探究してそれをクラスメイトに伝えたり、「ここはもっとこうした方がいいんじゃないか」など本気で議論したりすることは簡単ではありません。というより、とても怖いことだと思います。
私たちはまず、子どもたちがどんな不安を抱えながらそこにいるのか、「4人で話し合いなさい」とか「ペアでワークしなさい」と先生に言われた時、どう感じているのか、といったこともきちんと考えてみる必要があると思うのです。
思春期特有の恥ずかしさも相まって、結果的にできない、やらないという状態に至ってしまう。その背景となっている教室の中の空気を変えるために、先生はどう尽力するかがポイントになっているともいえるでしょう。
思春期の子どもたちだけでなく、青年期の大学生にも同様の雰囲気を感じることが多々あります。一人ひとりの学生はそれぞれ良い振り返りやレポートを書いてくるのに、ディスカッションの場になると、浅い議論しかしなくなる。学生たちは「やらない」のではなく「やれない」のだというのが、私自身、大学生を研究してきた中でたどりついたストーリーです。
考えてみると私たち大人は「子どもたちに主体性をつけさせる」と言いながら、子どもたちがもともと持っている主体性を、むしろ教育という営みの中で潰しているのかもしれません。
教育には、子どもたち一人ひとりが持っている潜在可能性を引き出す(ラテン語 educere)役割があります。だからこそ「なぜやらないんだ?」ではなく「なぜできないんだろうか?」というふうに発想を変えていくことも大切です。
“やらされ探究”と生徒の擬態
―― 探究が上手くいっている学校や教室と、そうではないところとの違いについて、もう少しうかがえますでしょうか。
山田:最大の違いは、管理や規律のあり方だと思っています。“やらされ探究”などと揶揄されることもあるようですが、先生が全てをコントロールしようとすると、探究や主体的な学びは成立しにくくなるでしょう。
先生の目には、子どもたちの“真面目さ”と映っていても、子どもたちは先生に合わせているだけなのかもしれません。子どもたちは適応能力が高いので、先生が気に入るよう、目をつけられないよう、評価を下げられないよう擬態するのです。
探究が上手くいっているクラスでは、本当の意味での生徒たちの「自由度」に対して先生が「責任」を持っておられる様子が見て取れます。子どもたちが「自分は何をやりたいのか」を口に出せる状況を作る、そのことに注力し、上手くいかないことも含めて責任を持たれているように感じます。
―― 子どもを一人の人間として尊重して見ることができるか、そうした人権感覚も、クラスの空気感に大きく関わる要素の一つであるように感じます。
山田:大いに関係していると思います。教育者と被教育者、成績をつける側とつけられる側という立場はありつつも、先生も人間なのだということをオープンにできればいいですね。先生自身が一人の人間として子どもと向き合うことを暗に要求しているのが探究であるともいえるわけですから。
一方で、先生同士のチームとしての安全性、すなわち「思い切って進めていって大丈夫」と先生たちが思えるような風土があるかどうかという点も分かれ目になるでしょう。
自分の失敗を自己責任にされてしまいかねない雰囲気だったり、先生同士のライバル意識が強く人間関係が硬直化し、誰にも相談できない雰囲気があったりすると、先生も自信を失って、教壇に立っても生徒たちには届かない、という形で孤立化していくように思います。
メンタルヘルスに不調を来したり、一人で抱える業務量も多くなり、昨今問題になっている教員の多忙化にもつながります。
問い直される教育の本質
―― 話題が少しずれるかもしれませんが、中学校や高校で部活動そのものがなくなっていく中で、例えばスポーツマンシップの育成や仲間づくりというような、プロの養成とは異なる「スポーツ活動」の教育的な意味や価値を自ら捨ててしまう学校も出てきていますね。
山田:教職を学ぶ大学生の中には「部活の顧問をやりたくない」という思いもあるようで、先生になりたくない理由の上位に部活問題が挙げられています。
一方、部活動において「勝たなければ意味がない」という考えが当たり前の風潮が、生涯スポーツの考え方を日本に根付かせにくくしているといった見方もあります。
好きで始めたスポーツなのに、部活で一番になれなかった子たちが、結果的に当該スポーツから離れざるを得ない姿を見ると、ここにも部活問題をめぐる大事なテーマが潜んでいることを感じます。
翻って、今回の新しい学習指導要領(論点整理)では、「好き」や「得意」を育むなど情緒的な言葉遣いが各所で用いられていて、教育という営みの本質が問い直されているように感じます。テクニカルな話に収束しない、ここに大事な意味があると思うのです。
大げさな言い方かもしれませんが、教育は一体何のためにあるのかを忘れず、探究もまた先生たちの「自慢ゲーム」にならないようにと願うところでもあります。探究のコンテスト化も進んでいますが、これについても探究本来の意味に立脚し、順位を競うことが目的化しないよう注意が必要だと感じています。
急速な少子化の時代、産業構造も社会も大きく変化しています。社会の一部である学校も、変わっていくのが当たり前だと思います。学校の先生も、自分の教科をいかに上手く教えるかだけではなく、教養を身につけることが求められています。
ICTやAIの進展で、手軽にどこでもどのようなことでも学べるようになりました。企業の経営者や次代を創ろうとする大人たちが、世界情勢をはじめとしたニュース、教養、多様な知識を吸収しようと学びを継続しているように、先生も生涯学習として学び続けていくことが、子どもたちの信頼を得ることにつながっていくはずです。
それと同時に、大学の教職課程にもさまざまな課題があることは指摘されるべきでしょう。先生のあり方も大きく変化・アップデートされるなかで、これからの教師を目指す学生にとって本当に必要なカリキュラムや授業内容を編成・提供することはもとより、新しい知識や技術,方法論について教えられる教員の育成や質保証も重要な論点と考えます。
公教育は過渡期にあります。学校という場所、教育という営みについて、個人、学校、地域、行政と、皆で考え、納得できる答えを出していかないと、本当に学校がなくなってしまいます。首長や学校長のリーダーシップにも大いに期待したいと思います。
―― 今後、地方創生のあり方や、それに伴う学校の維持の仕方など色々な問題が絡み合いながら出てくるでしょうね。
山田:本当にそうだと思います。学校も思い切って胸襟を開き、地域の方々に入ってもらい、子どもたちをコミュニティで育んでいく構えにならないと。
地方には、既にそうした方向へと舵を切って進んでいる学校がでてきつつある中で、腰が重いのはむしろ都市部でしょう。教育の現場をもっと開き、保護者以外の大人たちも、子どもたちが成長していく場面に触れていくことができれば、現状が見えたり実感が伴ったりすることもあると思います。
探究を核に広がるネットワーク
―― 説明責任を果たせるようなオープンな体制が、学校にも求められると。
山田:ただ、学校を開くとは言っても、好き勝手なことを言ってこられては学校も対応しきれません。
実際、現場の教員の多くの心労や時間を割いているものの一つに保護者対応があります。必要とされるリテラシーも一緒に育まれるように、まずはフレーム作りから始めていくとよいと思います。探究活動を入口にするのも有効な手立てといえるでしょう。一緒に議論できるアクセスポイントを徐々に増やし、“関係人口”を増やすことが大切です。
こうした取り組みを粘り強く続けることで、学校に対する信頼感も高まり、地域と学校とが有機的に連携しながら次代を担う子どもの育成にもつながっていくはずです。
先日、ある保護者の方からうかがったのですが、お子さんがその日の探究の時間に経験したことを、嬉々として話してくれるそうです。探究の導入については、生徒本人は必ずしも乗り気ではなかったらしいのですが、引っ込み思案だった我が子が変わっていく姿を見た時、探究にはそんな力があるのかと理解できた、とおっしゃっていました。
こうした声を広げ、共有することも、地域の未来を一緒に考えていくことにつながっていくのではないでしょうか。
―― 本日はお忙しい中、ありがとうございました。
<文中敬称略>
|